株式会社中田捷夫研究室

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半谷先生との33年を振り返って

―岡本太郎美術館・母の塔の構造設計―               中田捷夫

 

◇出会い

 半谷先生に初めて会ったのは、私に記憶では昭和40年の初めではなかったかと思う。大山先生、登坂先生と私の3人が、修士課程の1年を終わろうとしていた1月か2月に、その年の4月から修士課程の1年で坪井研究室に所属することになった半谷先生が挨拶に来られた。大山先生は、本郷の梅村研究室の1年後輩としてすでに面識がおありになったが、私は初対面で会った。その頃坪井研究室では、ゼミの一環としてドイツ語の翻訳を命じられていたが、私は残念ながら学部の2年の時に辞書を引きまくって、文章の丸暗記でやっと単位を取った程度の語学力しかなく、大変苦労していた。そこで半谷新入生を上手く説得(?)して私の担当を押し付けるべく、それとなく匂わせたが、彼は何も答えなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
 

 

                    母の塔全景

 そして4月1日まで再び現れることはなかった。半谷先生の最大の魅力はその頭脳の回転の速さと勘の良さではないかと思う。危険を察知する勘の良さはその時に思い知らされた。

 当時の坪井研は東京大学第2工学部の伝統を受けついで、かなりリベラルな環境にあった。出身大学も東大、東北大、九大、日大など坪井先生が務められた大学だけでなく、福井大、横国大や東海大など多くの異なった大学で、そのカラーは自由そのものだった。専門領域も空間構造だけでなく、鉄骨や鉄筋コンクリートの専門家は勿論のこと、振動や応用数学の研究者を擁するなど今では考えられない位、広い領域をカバーしていた。半谷先生はそのような環境の中で、持前の明晰な頭脳に加え、広い視野の国際感覚を研究者に成長されたのだと思う。

 私は、昭和42年に坪井先生が退官され、目白台ハウス(現在の青木繁研究室のある所)に事務所を構えられ、EXPO’70・お祭り広場の構造設計を始められたのを機に坪井研に移って設計の道に進む事になり、半谷先生とは異なった道を歩むことになりました。しかし、その3年間の付き合いは大変深いもので、生研の研究室の床に大山先生、半谷先生と3人で1枚のせんべい布団に川の字になって夜を過ごしたことが幾晩あったか数え切れないくらいです。私が生研を出てから半谷先生が他界されるまで丁度30年の年月が経過しましたが、この間私の困った時は随分助けていただきました。坪井先生の研究活動の片腕として坪井先生の論文にはほとんど目を通されて、内容の検証をされていたことを坪井先生はいつも感謝しておられました。「半谷が居てくれて助かるよ」。半谷先生がお元気でおられて、いつ電話しても快く支援してくださったこと、居られなくなって初めてその存在の大きさを痛感しています。

 

 

◇半谷先生のお仕事

 半谷先生のご研究は、「形態解析」という分野の研

究が半谷研究室でご指導を受けた研究者が継承し、中

でも最適化の研究が多くの方々に受け入れられて開花

していることは周知の通りです。しかしながら、私に

とっての半谷先生のご研究の中で最も注目しているの

は、少なくとも私の知る限りにおいて、建築の分野で

骨組みの数値解析にマトリクス法を適用された最初の

人ではないかということです。

 確か昭和40年だったと思いますが、半谷先生が修士         屋根トラス

1年生として坪井研究室に来られた年に坪井先生と川股

先生のお二人がハワイ大学の講義に行かれたのですが、

1冊の研究レポートを持ち帰られました。それは、航

空機の骨組みの解析を扱った本で、Argyris著「Ener

gy Theorem」という題名でした。(坪井先生が他界

されたあと、私の手元に保管していましたが、内容に

ついては全く理解していません。)このレポートの内

容の検証と数値計算による確認を半谷先生が担当され

たのです。

 最初の例題は、当時丹下研究室と協働して設計に当

たっていた、Singapore Sports Complex のスタンド

の異型ラーメン架構でした。当時異型ラーメンは「直

角変位図」を用いて解析していましたが、余り良く理

解できなくて苦手であった私にとっては、計算機で出

力した節点変位をグラフ用紙の上に手書きで書かれた

時には、計算の世界の不思議さに驚いたものです。

 次に半谷先生が挑戦されたのが、内の浦東京大学宇

宙航空センターのロケット頭胴部組立室の屋根でした。

この屋根は1辺の長さが32.64mの正方形平面を持つ、

ダブルレイヤーの平板立体トラスで、4本の支柱で支持

されていました。この屋根をマトリクス法と平板の差

分解、フーリエ解と比較したものが坪井先生の退官記念講演「平面および曲面問題の追及」に収録されています。

 解析結果は総ての部分で一致してはいませんが、これはこの形状の骨組みの組み方では屋根の捩り剛性が出ず、平板と言うよりむしろ平面格子梁の性質に近いので、平面版の基礎微分方程式の中からMxyの項を削除した差分解やフーリエ解と比較すればより良い近似が得られると思われます。当時の東大生研のコンピュータは記憶容量が2,000番地しかなく、最大で40×40の逆マトリクスしか計算できなかったので、対称性を考慮しながら1/8を解析するのが精いっぱいであったが、それ以降に広がる限りない可能性を秘めた数値解析の世界を予感させてくれました。これ以前に,この解法による事例に接したことがないので、恐らく半谷先生の御研究が我が国のマトリクス解析の端緒であったと思っています。

 以後、骨組解析のマトリクス法は有限要素法などの面構造の解析に発展し、これをベースに、座屈問題、非線形問題、動的問題が研究されることになったと理解しています。そして現在は、最適化問題や形態解析などが盛んに行われていることを聞くにつれ、半谷先生の将来を見据える大局観とその業績に今更ながら拍手をお送りしたいと思っています。

 

◇もう一つの業績

 私が半谷先生とのお付き合いの中で感心したこととしては「着想のユニーク」さでした。構造物の設計に直接関係しないのであまり話題にはならなかったのですが、私は「逆問題」と「接触問題」に大変関心がありました。逆問題は、変形後の形態を規定して、想定される荷重に対する変形前の形態を解析する手法で、関先生がそのテーマを継承されています。接触問題は、いわば混合境界問題とでも言うべきもので、一つの境界領域の中で応力と変形の条件が混在する場合の解析手法を扱うと理解しています。具体的な内容については残念ながら私には理解できていませんが、私のテーマであるシェルのフーリエ解析の過程で、境界に沿って部分的に変形を拘束する問題が扱えなくて大変困った記憶があり、それに正面から取り組まれた先生に、仲間として大変心強く思ったものです。

 

◇母の塔と半谷先生

 坪井先生が他界されて暫くたった2005年頃に、私は川崎市・生田にある岡本太郎美術館の展示物である「母の塔」の構造設計を担当していました。この建物は、岡本太郎の生涯の作品のほぼ総てを、岡本かの子・一平の生地である川崎市に寄贈したことを受けて川崎市が計画したもので、太郎の彫刻を高さ30mの塔として美術館の傍に建設する計画になっていました。私が初めてこのプロジェクトに呼ばれた時には高さが大阪・吹田の太陽の塔とほぼ同じ65m程度であり、構造の形式も、自由曲面のシェル(?)として実績のある構法で予算化が進んでいたようです。このような形状の塔体を薄肉コンクリート板で作ることに疑問を持っていた岡本敏子氏が、何か不自然さを感じていたし、力づくで作り上げることに美しさくを感じないと言われていたのが印象に残っています。

 現在、有限要素法の普及で、形さえ数値化できれば市販の解析ソフトで応力や変形を解析することは可能になりましたが、「彫刻」のもつ性質上必ずしも合理的な力学的な特性を備えている訳ではなく、「シェル」と呼ばれる曲率のもつ特性を生かした構造体として設計することはできないと考えています。薄板で設計しようとしたにもかかわらず、面内力より曲げ応力が支配的になって、その結果板厚が次第に厚くなって、結局力づくで設計せねばならなくなるという、構造設計の無策さを露呈する結果になると考えたからです。更にこの構法では実際の彫刻の形状を忠実に再現することは至難の技で、空間の中で定められた位置に型枠を設置し、配筋を行い、コンクリートを打設することに伴う誤差の発生を考えると、解析モデルと実体の対応が如何にも不明快で、設計の潔癖さの観点から到底採用できなかったのです。

 私は何とか塔体の内部に、しっかりとした骨格を作りたいと考えました。空間の中に塔体に近い形状の構造体を先ず造り、そこから塔表面までの寸法を管理することにより、地上から直接形状を管理するよりうんと易しく、正確になると考えたからです。そして外殻を主体構造から解放することによって、より形態の再現が容易になると判断されます。この結果、内部に鉄骨の回転体のような、製作に配慮したフレームを外殻に内接するように計画しました。当初の案が、あたかも亀や海老などのような外殻が力骨である構造であるとすれば、提案した案は私たち人間のような骨格と外皮という構造システムと言えるのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 設計としては、結局鉄骨パイプによるブレース付き立体フレーム+クラッシュタイル貼GFRCパネルとなりました。動的応答解析を半谷研究室の西田さんと三井研究室の三井さんが半谷先生の下で担当し、応力解析と詳細設計には力体工房の岡部さんに協力していただきました。任意形状の剛接フレームの時刻歴応答解析は、計算の手法としては確立されてはいたものの、計算結果の設計への対応が難しく、半谷先生の協力が不可欠だったと考えています。実際の構造では外殻パネルがファスナーで一体化されているため、躯体の初期剛性は高くなると思われるが、ファスナーの耐力としては終局状態を想定していないため、躯体のみの剛性で応答解析が行われました。

 

 

 

 

 

                          

 

 

 

 

 

 

 

                          塔体のジャッキアップとパネルのファスナー

 

◇別れ

 昭和40年に初めてお会いして以来、33年の長きに亘り公私ともに近しくお付き合いいただきました。先生から戴いた知見は計り知れませんが、それにも増して先生からは、「安心」と「安らぎ」を頂きました。いつあってもにこにこと明るく接していただきましたし、どんな面倒なことをお願いしても快く受けていただきました。坪井先生から自立するときには、伊東豊雄さんにもご紹介いただきました。本当に良き先生であり、仲間であったことに感謝しています。先生に最後にお目にかかったのは、確か4月のサンフランシスコで開催されたIABSE,IASSとJSCAの合同会議だったと記憶しています。大変お疲れのようで顔色も優れなかったので心配していました。「大丈夫か?」って声を掛けましたが、「ええ」と言われただけで、それが最後の会話になりました。母の塔は先生との最後の仕事になりましたが、完成した塔を見ていただけなかったのが残念です。ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                 北京・故宮前にて